自社ブランドだけでなく、様々なブランドの革製品を作ってきた株式会社猪瀬。そんな日常の中で、ここ数年、ブランドからの要望に変化を感じています。
その変化とは、「もっときれいなパーツだけで裁断してください」というもの。
本革というのは動物由来の天然物であるため、どうしても不均一な素材です。キメの荒い部分から整ったきれいな部分まで、1頭から多様な表情のパーツが取れるのです。
なので、頻繁に目に入るバッグ正面にはキメの整った部位を、見えづらい内部のパーツにはキメの荒い部分を、と使い分けるのが一般的です。
しかし、近年は「さらに上を」と求められる――そんな場面が増えました。
一見すると、より良くなるのであれば、ブランドの要望こそ正しく思えますよね。ですが、ここには落とし穴がございます。
本日は、この落とし穴をご紹介。天然素材である革の「個性」を無視した「外観完全主義」ともいえる近年の要望は、どのような問題を抱えているのでしょうか。
一方、トップランナーたるメゾンブランドは、全く異なるアプローチで素材に着目していました。同じく完璧を追求した取り組みながら、そこには全く異なる着地点があったのです。
では、本編に参りましょう!
そもそも革の裁断セオリーとは?
まずは、伝統的に採用されてきた裁断の方法をご紹介します。
冒頭でも触れましたが、革には部位ごとに異なった特徴が表れます。裁断の際は、パーツの見え方と強度に対して、部位の特徴を合わせるのが一般的です。
■ 部位と特徴のおさらい
部位 | 特徴 | 主な用途 |
ベンズ(背中~尻) | 繊維が最も緻密。強度も抜群で、キメも整っている | バッグ胴や負荷の掛かるパーツ |
ベリー(Belly=腹) | 柔らかく伸びやすい。銀面(ぎんめん)が薄い | 底・マチ・内装・芯材 |
さらに詳しい部位別の特徴まとめは、こちらの記事で紹介しています。
気になる方は合わせてご一読ください。
以上の特徴とパーツの相性を合わせて裁断するのが、これまでのセオリーでした。なるべく無駄のないように、専門の知識を持って注意を払ってきたのです。
これは倫理的にもコスト的にも合致したもので、広く受け入れられてきた慣習でもあります。例えるなら、大根の煮付けを作るとして、葉っぱは味噌汁の具にするようなものです。 “素材を丸ごと味わう料理人”のような発想こそ、レザークラフトのセオリーであったといえるでしょう。
乖離するブランド要求──外観だけを磨く完璧主義
しかし最近、ブランド側の要求は変化しつつあります。変化の内容とは「あらゆるパーツの見映えを良くして」というもの。つまりは、大根の葉は捨てろということです。
先ほど紹介したベンズと呼ばれる繊維密度が高くキメも整った部位で多くのパーツを裁断するよう指示されることが増えてきたのです。
これでは、バッグ1本を作るときに必要な革の量も当然増えてしまいます。結果、製造原価は上昇。廃棄する革も増えることになります。
このような外観完璧主義ともいえる要望の変化は、なぜ始まったのでしょうか。
あくまでも推測ですが、背景には、いくつかの要因が考えられます。
1.インターネット市場の発展
ネットに掲載されている写真から購入する機会は、皆さまも増えているのではないでしょうか。ZOZOTOWNや各社ECサイトなど、ネット購入の波はファッション業界にも進展してきました。お買い物の際、掲載写真と実物に乖離があるとガッカリしてしまうのは至極当然です。
しかし、革製品は素材の特性上、個体差があって当たり前なのですが、ネット販売では個体差は許されるものではありません。お客様の期待を裏切らないためにも完璧を求める構造になるのです。
2.販売現場の教育が行き届いていない
本革の特徴や物作りの現場を知らないことで、「傷ゼロ・均一が正義」と錯覚してしまう現象が起きているのではないでしょうか。もちろん、傷も粗いキメもないことは素晴らしいのですが、バッグの強度やコストを加味していないことがしばしば見受けられます。革の知識があれば、「不均一なキメも革本来の特徴であり、同時に魅力でもある」と説明できるところが、知識不足により伝えきれないのです。
これは、単に販売員の知識不足が原因ではなく、製造現場と販売先が分離されていることに根本的な問題があります。知識を共有する場が設けられていないのです。
Flathorityはファクトリーブランドであるため、製造現場=販売先ですが、これは稀なケース。実際は、販売担当者が縫製工場や裁断の様子を目にする機会はほとんどありません。こうした構造的原因により、外観完璧主義は一層増えつつあります。
一方でトップメゾンであるエルメスの取り組みに目を向けると、全く異なる完璧を目指す姿があります。続いて、エルメスの素材への向き合い方を見ていきましょう。
HERMÈSは“外観一辺倒”ではない
最初に結論だけまとめると、エルメスでさえ「全部きれいなベンズで抜く」わけではありません。
背中〜尻の緻密なゾーンであるベンズは看板となる鞄の胴やハンドル用に最優先されます。一方、腹部など比較的伸びやすい部位もマチ・内装・小物類に配分し、歩留まりを管理しているのです。
むしろエルメスは「廃棄最小化」を掲げ、裁断職人に「革をできるだけ惜しまず使い切る」教育と指標管理を徹底しているんだとか。加えて、余剰革はアップサイクルする仕組みまで整えています。(2022 UNIVERSAL REGISTRATION DOCUMENT)より
petit h──端材に“第二の人生”を与える工房
エルメスは2010年、端革や残パーツを芸術品に昇華するpetit h(プティ・アッシュ)部門を設立。バッグ製造で余ったレザーを花瓶や照明スタンドに用いています。それまで廃材になっていた「捨てるにはあまりにも良すぎる素材」を芸術品へ生まれ変わらせる手法は、まさに“革の錬金術師”です。
グループ全体で廃棄を数値管理
他にも、エルメスの 2023 年 CSR(企業の社会的責任)報告では、
- タンナー各社で 廃棄物マッピングを実施し、革のロスを定量化。
- 廃棄物の 53 % を再利用またはリサイクル、前年 41 % から大幅改善など、
先進的かつ、伝統にも裏付けされた部材の活用に積極的です。(2023 UNIVERSAL REGISTRATION DOCUMENT)
ポイント:エルメスは「全部優れた部位(ベンズ)」は選ばず、適材適所+アップサイクル の両輪で“完璧”を定義し直している。
本質的な完璧主義へのアップデート
ここまで、伝統的な裁断のやり方とブランドの完璧主義化、トップメゾンの取り組みをご紹介しました。やはり、国内の現状に乖離を感じるのではないでしょうか。
ここでは、外観完璧主義ともいえる今の状態を少しアップデートしていきます。より健全な状態を目指すために必要なことを考えてみましょう。
1. 仕入れ・販売担当者の再教育
最も重要な視点は販売者の教育にあります。見映えの完璧を求めるほど廃棄率が高まり、コストも増加することを知ることが重要です。そのためにも、販売担当が製造の現場に訪れて交流を深める必要があります。
また、短所は長所の裏返しというように「ベリー=ソフトな抱き心地」「ショルダー=シワが描く圧倒的個性」でもあるのです。このように、差異を楽しみとして伝えるにも再教育が必要といえるでしょう。
2.シリーズ展開による裁断効率の向上
大きいバッグを裁断すると、端切れも大きくなってしまいます。なので、バッグ1型だけで生産すると捨てる革の量も膨大です。
そこで、生産の際は同じ革を用いたシリーズを展開するのが一般的になっています。バッグの大きなパーツは抜けなくても、ミニショルダーであったり、お財布の小さなパーツなら抜けるといった具合です。
例えば、全てのパーツに均一なベンズを用いたシリーズを生産しつつ、ベリーを用いた別ラインを作るのも良いアイデアかもしれません。
このように全てを使い切るシリーズ展開をすることで、限りある資源を“完璧”に使い切ることができます。
近年は景気の影響からシリーズ展開を絞る選択も多いのですが、素材の有効活用という観点ではシリーズ展開は優れた手法といえるでしょう。
外観だけの完璧主義から無駄のない本質的な完璧主義へ。皆さまはどちらの“完璧”を求めていきたいと思いますか?
コラム:キズは“生きた証”あなたは許容できますか?
牧場で擦れた跡、虫刺され、成長線……革には動物の生きた証が刻まれています。これは、人間でいえば「ほくろ」や「笑いジワ」のようなもの。個性として愛でるか、欠点として隠すか――問いが突きつけられます。
現状、Flathority を含む多くのブランドは革に元々付いているキズを避けて裁断しています。日本市場では「傷=不良」という固定観念が根強く、売り物にならないことから元キズを避けているのです。
しかし、「キズ=天然モノかつ一点物である」とも捉えられますよね。サステナブルを本当の意味で掲げるなら、「傷は天然革の証し」と受け入れる土壌づくりも一考に値します。みなさんはどう感じますか?
まとめ“素材を丸ごと味わう完璧主義”へ
革の“完璧”とは、ただ見た目を磨き上げることではなく、動物の命を余すことなく味わい切る姿勢だ。そんなお話をしてきました。
部位ごとの個性を活かす伝統的セオリー、端材さえ再生させるエルメスの姿勢、そして私たちが直面する外観至上主義の課題。どれも「資源と向き合う覚悟」の温度差が生んだ現象にすぎません。
もし“真の完璧主義”を選ぶなら「完璧に使い切る」を合言葉にしたいところです。
そのために――
- 作り手と売り手が同じ景色を見て学び合うこと。
- シリーズ展開で端材に居場所をつくること。
- そして、微細なキズさえ「一点物の証し」と語れる文化を育むこと。
こんな小さな一手が、革の魅力をもっと深く、長く、誇れるものへ変えてくれます。
次に革製品を手に取るとき、ぜひ「どの部位が活かされているだろう?」と想像してみてください。
その視線こそが、素材も地球も喜ぶ“アップデート”の第一歩になるはずです。
本日は以上です。
では、また!
素材の有効活用で生まれたアイテム
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